英語初学者がラオスのビエンチャン・ルアンパバーンへ行ってみた話

英語コラム
  • ラオスという国について知りたい。
  • ビエンチャン・ルアンパバーンという町について知りたい。
  • 旅行の体験記が聞きたい。

こんな方は本記事を読んでください。

みなさんはラオスという国をご存知ですか?
もし、知らない方はこの記事を読めば、それがどんな国なのかイメージできることでしょう。

そして「英語を勉強して海外に行きたい!」と思っている方へ、実際に2年間英語を勉強して海外に行った時の私の経験を、今後の旅の参考にしていただければ嬉しいです。

ジョバンニ(@eigomeister
この記事でわかること
・東南アジア:ラオスの歩き方
・英語初学者が自力で海外に行くとどうなるのか
・トゥクトゥクの値段交渉の仕方

まえがき

2017年冬、会社の後輩とラオスへ行くことになった。彼とは、英会話教室の体験レッスンで出会い、たまたま同じ会社だったことがわかり、意気投合した仲だ。

なぜラオスなのか、それは彼がただ単に東南アジア好きだったからである。

ただ、私もなんとなく付いて行ったわけではない。

意識高い系の私は、なんとなく旅の目的を3つ程打ち立てていた。

  1. 初めての東南アジアをその目で確かめること。いつかアジアを一人旅したい。今回の旅をその足掛かりにしようと考えていた。
  2. 心身ともに丈夫になること。自分が想像していた東南アジアの印象は、熱い・汚い・虫が多いといったところだろうか。安全で綺麗な日本でぬくぬくと育っていた自分にとって、この旅を何か成長のきっかけにしたいと思っていた。
  3. 英会話の実践。英会話を勉強し始めてから約2年が経っていた。英語圏ではないが、旅の会話は自ずと英語になる。自分の英語力の確認と、これからの自分に必要なスキルをこの旅で見つけたかった。

1日目 ラオス入国

私は空港にトラウマがある。実はこの1年前、台湾旅行のために空港へ行くも、パスポート名と予約名が一致しなかったため、チェックインができず、飛行機に乗ることができなかったという事件がある。旅行代理店で予約せず、自分でネット予約をしたため、アルファベットの打ち間違いをしたのだ。(このことについても、いつか記事にしたいと思っている。)

今回は後輩がチケットを取ってくれたので大丈夫だろうと、多少緊張しながらも、なんとか無事にチェックイン。ちなみにチェックインカウンターでは、日本人のスタッフに「アニョハセヨ〜」と言われた。

チェックインでは、トランジットで一旦寄る韓国行きまでのチケットしか貰わなかったため、少し不安なまま韓国に到着。ジンエアーはマイナーな航空会社だからか、機内はほとんどが韓国人だった。(だから韓国人だと思われたのか・・・。)

韓国最大の空港、仁川(インチョン)国際空港に到着。大勢の韓国人の波に乗って行くと、間違って韓国に入国しそうになった。というか、早速迷った。

トランジットの時間は1時間半しかない。搭乗手続きは40分前といったところだろうか。とにかく、悩んでいる暇はない。インフォメーションセンターを見つけ、チケットを見せ、どこへ行けばいいのか聞くと、反対の棟の搭乗ゲートに行くように指示された。仁川国際空港は2棟に分かれており、出発ゲートの番号によって建物が異なる。到着ロビーにあるモニターでゲート番号を確認していなかったため、別の棟に来てしまっていたようだ。

急いで建物間をつなぐシャトルトレインに乗車し、走って搭乗ゲートまで行くと、そこで直接発券をしてもらえた。既に汗だくだった。後に分かった事だが、乗り継ぎ時の搭乗券は日本でのチェックインの時に貰える時と貰えない時があるようだ。

ちなみにトランジットでは荷物検査は通らず、韓国への入国カードの記載も不要。(日本の出国カードの記載は必要。)機内食はパンとヨーグルトとバナナだった。まるで非常食だ・・・。テレビはついていないため読書が進む。映画や漫画をスマホにダウンロードしておけば、いい暇つぶしになると思った。

 午後9時、ついにラオスに到着!!ラオス一大きいワッタイ空港。そのあまりの小ささに驚く。そして蚊が多い。後程わかった事だが、蚊は屋外よりも屋内の涼しい所に大量発生している。蚊も猛暑は嫌いらしい。

宿泊先のホテルにシャトルバスを依頼していたため、おじさん(サッカーか何かのユニフォームを着ていて、とても接客業をしているとは思えない恰好のおじさん)にホテルまで送ってもらった。

 ホテルの部屋は1人1泊約2,000円と安かった。しかも、その割には綺麗で、虫が発生する心配はなさそうだった。壁が薄いのか、外の音はよく聞こえたが、この発展途上国に夜遅くまで遊べる場所があるはずないため、安眠を妨害される心配もなかった。

ホテルの向かいに『ラオ・キッチン』なるお店を見つけ、晩御飯にお目当てだったラープ(鶏、豚などの肉類をミントなどの野菜と混ぜ合わせたサラダの一種。よくもち米と一緒に食べられる。)をビア・ラオ(ラオスのビール)片手に食す。これがまた美味い。濃い味のラオス飯は私の舌に合うようだった。ビア・ラオはオリオンビールに近いさわやかな味で飲みやすかった。

 さわやか風味のビアラオ

2日目 ビエンチャン散策

この日は1日ラオスの首都であるビエンチャンを散策する日だった。

まずはホテルから一番遠いが、一番の目当てでもある『タートルアン』へ徒歩で向かう。

野良犬、野良猫が多いことに驚く。野良ゴールデンレトリバーと野良ラブラドールレトリバーが道端で遊んでいる光景には驚いた。無類の犬好きとしては野良犬だろうと愛でたい気持ちはあったが、狂犬病が怖いので我慢した。

ワッタイ空港に着いた時から思っていたが、ラオスには独特の臭いがある。排気ガス、土、お香が混ざったような強烈な匂いだ。この匂いを楽しむのもまた発展途上国の旅の醍醐味なのだろう。気温は昼には30℃を超えるため、帽子、サングラスは必須だ。こまめに水分補給をしながら歩いた。

首都の割にはボロボロの家が目立つ町並みを歩いていると『パトゥーサイ』を先に見つけた。フランスの凱旋門に、アジアチックな装飾を施したような建物だ。予想以上に大きかった。階段で上に登ると、ビエンチャンの町並みが一望できる。まるでシャンゼリゼ通り・・・とは程遠いが、同じような太い通りに大量の車・バイクが走っている。発展途上国に共通してバイクは多いらしい。

シャンゼリゼ通りとは程遠いパトゥーサイからの眺め  

予想以上に長時間歩いた末、やっとたどり着いたタートルアンは、予想以上に金色で、予想以上に堂々と修理中だった。全体を修繕しているわけではないが、よく見るとあちこちの屋根上に修理工が乗っていた。あれだけ足場を作られたら、綺麗な写真が撮れるはずもない。仏陀の骨が埋葬されている(本当か?)という建物をぐるりと一周した。一分で一周できた。一番楽しみにしていた割には、大したことがなかったというのが正直な感想である。

堂々と修理中のタートルアン

その後、なぜこんなに広くした…と突っ込まざるを得ないほど無駄に広い駐車場をとおり『ラオス人民軍歴史博物館』へ到着。おそらく戦争で実際に使われたであろう戦車やヘリコプター、銃器類などを一通り見た。旧ソ連軍からの贈答品が多いようだった。事前に歴史を知っておけば、もっと楽しむことができたのだろう。また、博物館には必ず英語での表記がある。その国の言葉がわからなくとも、英語が読めれば理解はできるのだが、まだ自分には多くの専門用語を瞬時に理解するほどの英語力は養われていなかった。

町の中心付近まで戻るために、初めてトゥクトゥクを利用した。これもまた楽しみだったものだ。

(トゥクトゥクについては、おまけを参照)

始めてのトゥクトゥクは交渉に負け、街の中心近くまで40,000kip(600円)も取られた。交渉に慣れれば20,000kip(300円)で行けただろう。物価が安いため、タクシーの初乗り料金以下でそれなりの距離を移動できると思えば、多少吹っかけられても安いものである。ただ、周りの車の排気ガスや風が直接顔に当たり、何かに捕まっていないと落ちる危険もあるため、決して快適な空間とは言えない。

街で一番のショッピングモール『タラート・サオ』旧館、新館ともしっかり廃れていた。ブランド品も怪しい物ばかりだ。でかでかとiPhoneならぬⅡPhoneの広告が貼られていた。動かないエスカレーターを上ると、3階には食堂があった。チキンヌードルなるものを頼み、直接お金を払おうとしたところ、あちらに行けとの指示。どうやらクーポンを購入してから、そのクーポンを渡す形式のようである。現地の人達は英語もわからない人が多いため、身振り手振りとそれを察する能力が重要だ。案外、達者な英語を話されるよりも通じるかもしれない。

その後、同じような寺を何軒か巡った。正直、後から写真を見返しても名前が一致しない。寺巡りでも博物館同様、その国や寺の歴史を知ればより感動することができる。ただし、歩き疲れるとその感動も半減するため注意が必要だ。

東南アジアに共通するお楽しみはマッサージだ(健全な)。あちこちに格安のマッサージ店がある。ラオスの相場は1時間50,000~60,000kip(800円程度)。バックパッカーのバイブル:地球の歩き方に載っている店は少し割高のため、当たり外れも楽しみながら、自分達の足で探した方が良い。

ホテルのフロントマンに尋ね、リーズナブルなお店を教えてもらえた。腰痛持ちかつ全身くすぐったがりの私はフットマッサージを頼んだが、これまた気持ちいい。これは嵌まる。日本では数千円するだろう。しかし、フットマッサージとは言え、多少肩や腰も揉まれるため、時々くすぐったいのを我慢しなければならなかった。マッサージに慣れたいと思う今日この頃だ。

夕食は『タムナック・ラオ』という少し高級なレストランへ行った。開店と同時に行ったのだが、まだ店は準備中だった。日本以外の国は、欧米であれアジアであれ、時間にルーズなことがよくわかった。少し待ってから食事をいただいていると、途中で民族舞踊が始まった。残念ながら遠くてよく見えなかったが。肝心の食事は美味しゅうございました。

ラオスのお米はタイ米。美味しかったタムナック・ラオでの食事

食後は『ナンプ広場』という若者が集まる屋外レストランで2次会だ。ステージで良い雰囲気の音楽が演奏されている。知っている音楽が聞こえるとなぜか安心する。音楽は共通言語とはよく言ったものだ。ちなみに、oasisのwanderwallを聴くと今でもこの場所を思い出す。お酒はビール大瓶640ml程度で20,000kip(350円)が相場。好きなだけ飲んでも財布は傷まない。

素敵な雰囲気。ナンプ広場の噴水

3日目 ルアンパバーン散策

首都ビエンチャンから少し離れた街、ルアンパバーンへ移動。

ホテルのフロントに頼んで、空港までのタクシーを手配(10$)してもらった。トゥクトゥクを利用すればもっと安く行けるが、少し距離がある場合は快適な乗り物を選ぶ方が良い。

ワッタイ空港の国内線は国際線に隣接している。小さいと思っていた国際線よりも国内線は更に小さかった。チケットは事前に取っていたが、印刷できるような正式な証明はなく、メールで予約画面を見せるだけで良かった。機内持ち込み手荷物は6kgまでだったが、計りに乗せた際に6kg以上あっても何も言われなかった。なんだか色々と雑で驚愕した。

飛行機はMA60という型。ネットで調べると、頻繁に墜落しているという恐ろしい型の飛行機だった。そしてプロペラ機だった。しかし、思っていた程揺れはなく、ありがたいことに50分のフライトはあっという間だった。小さい飛行機だったが、空席は結構あった。

悪名高きプロペラ機MA60

ルアンパバーンに到着し、先日同様、宿泊先のホテルにシャトルバスを依頼していたため、ホテルマンを探す。しかし、それらしき人はどこにもいない。20~30分程途方に暮れて待っていると、何度もタクシーカウンターにいる運転手に、タクシーに乗るように誘われた。これ以上待ってもホテルマンは来ないと判断し、そのタクシーでホテルまで行くことにした。ちなみにタクシーは50,000kip(750円)で、予約していたシャトルバス(10$)よりも安かった。

ルアンパバーンの町並みは、これぞ正に『世界遺産に登録された町』という景色だった。いかにも田舎と思える古い家屋が並ぶ中、所々にプロヴァンス風のフランス建築が現れる。それもまた古い建物が多いが、たまに見つける新しい建物もそこに溶け込んでいて、よく見ないとその新しさに気付かないほどだ。道路はガタガタで狭い。山や川の自然に挟まれた道沿いに点々と家が並んでおり、中心部に近づくに連れて家と家との感覚が狭まっていく。しかし、どれだけ家が増えても、自然はなくならない。不思議な町だった。

ホテルに到着し、受付で名前を伝えたところ、東南アジア訛りの聞き取りにくい英語から「I’m sorry」「uncle」「forget」という単語が聞き取れた。どうやら伯父がミニバンを用意し忘れたため、迎えに行けなかったとのこと。家族経営なのだろうか・・・。ホテルはいわゆるモーテルのような形式で、外から直接部屋に入る作りになっていた。ここも1人1泊約2,500円と安い割には綺麗だった。アメニティは石鹸のみだったが、全て持参しているため問題はなかった。安いホテルはどこもそんなもんだろう。ドアの下に隙間があることだけが難点だったが、事前にその情報を得ていたため、蚊取り線香を近くに置いて対処した。ちなみに蚊取り線香は空港で持ち込み手荷物に入れていたが、国内線・国際線問わず何も言われなかった。

 早速出掛ける準備をし『ワット・シェントーン』という寺に向かう。メコン川沿いを歩いていると、バカンスに来ている欧米人が多いことに気付く。秘境に来たつもりだったが、何ということはない、欧米人には人気の観光地だった。ただ、この“秘境感”も欧米人を魅了する一つの要因なのだろう。

雄大なメコン川。色はすこぶる濁っている。

ワット・シェントーンは数百年前に立てられた寺だが、堂々とした出で立ちをしており、特に何重にも重ねられた大きな三角屋根は重々しい雰囲気を醸し出していた。どの寺でも共通して、建物の中に入るには靴・帽子を脱がなければならない。写真は撮っていい所とそうではない所があるため、「No Photo」の看板がないか確認が必要だ。

その後も寺を2件程巡り、『プーシーの丘』にプチ登山。猛暑の中300段以上ある階段を登ったが、それ程辛さは感じなかった。汗は滝のように流れていたのは言うまでもないが。丘に登頂すると、町が一望できる景色が広がっていた。沈む夕陽が見える時間帯が絶景らしく、それよりは少し早い時間帯だったため、それほど混んではいなかった。少し小高くなっている岩の上が写真スポットになっていて、欧米人と思われる人が色々なポーズで写真を撮っていた。私もポーズのバリエーションを増やさなければ・・・と少し反省した。若いカップルがいたのでこっそり撮らせていただいた。欧米人は絵になる。

絵になるお二人と丘からの景色

更に3件程寺を巡った。トゥクトゥクとの戦いは、100,000kipを60,000kipにまで下げることに成功した。(目標は50,000kipだったが…。)トゥクトゥクは何か所かハシゴしてもらうこともできる。ただし、当然その分距離は増え、寺を見ている間には待っていてもらわなければならないため、少し金額が高く設定される。さらに、人を待たせているという罪悪感から、ゆっくり寺を見て回れないという難点もある。地球の歩き方の地図の縮尺がビエンチャンと違ったことが原因で、地図上では遠いと思っていた所が意外と近かった。今後は注意が必要だと思った。

その後、『ルアンパバーン国立博物館』へ行ったが、閉園時間が過ぎていたために断念した。寺も同様だが、開園時間が決まっているため、どうしても行きたい所があれば、事前にチェックが必要だ。

博物館の前の通りでは、ナイトマーケットが開かれていた。道路は歩行者天国になっていた。1km程にもなるのだろうか、道路沿いに織物やTシャツ、置物から絵まで、所狭しと様々な物が売られていた。値段は表記されていないため、直接聞いてから値下げ交渉をする。比較的安物が多いため、例えば20,000kipを15,000kipにする程度で交渉は終わる。多少値切られる前提で価格を設定していると思われる。おそらくは買い手のほとんどが観光客だろう。ある程度見て回ると、何度も同じ商品を目にした。おそらく全ての商品がどこかで大量生産されていて、それをいろんな人が売っているだけのようだ。子どもだけで売っていたり、赤ちゃんを抱いて売っている人もいた。男性はほとんど見かけなかった。物売りは女性の仕事なのだろうか。

東南アジアあるあるナイトマーケット

晩飯は『ルアンパバーンキッチン』というラオス料理とイタリアン料理の両方を食べることができる店へ行った。アジアのスパゲティは他の海外同様柔らかくて微妙だった。食後は夜遅くまでバーが立ち並ぶ通りまで行き、良さそうな雰囲気のレストランを選んだ。ラオスのレストランの多くは入口が開放されていて、ドアがなく(閉店後はシャッターを閉める)、テラス席が多いため、店の中の様子がわかりやすい。適当に酒を注文すると、甘ったるいカクテルが出てきた。知らない酒を飲んでみるのもまた面白い。

ホテルに戻り、ドライヤーをレンタルするため、受付に行った。オーナーが眠い目をこすりながら、「borrow」「somebody」「tomorrow」と言っている。つまりは「他の客に貸しているからまた明日」とのことだ。しかし、私はもうそんな事では動じない。それにしても、オーナーは一人でこのホテルを切盛りしているのだろうか。ロビーで寝ているのだろうか。色々なことを考えながら、半乾きの髪で眠った。(結局その後、ドライヤーを借りられることはなかった。)

4日目 ルアンパバーン周辺ツアー

朝一で『托鉢(たくはつ)』の見学へ。托鉢とは、仏教の出家者の修行の一つであり、街を歩いて最低限の食糧を乞うことである。

ルアンパバーンでは午前5時半から6時半の間で毎朝托鉢が行われている。早起きしたのはいいが、外はまだ暗く、人も疎らだった。大通りまで行くと徐々に人は増えていき、物売りまで現れた。よく見ると歩道の端に敷物が敷いてあり、何人かは食糧を持ってそこに座っている。なるほど、その食糧を修行僧へ渡すのか。物売りから破格の値段で食糧を買うと、予想通り歩道に座らされた。

そのまま待っていると、珍しく日本語が聞こえてきた。隣に座ってきた若い男性3人組が日本人だったのだ。大学生なのだろうか、ツアー以外のどこかで象に乗れるところは知らないか聞かれたが、残念ながら私が知るはずもない。旅費を安く抑えたいため、ツアーは組みたくないのだと言う。なるほど、良い心掛けだ。その男性はミラーレスのコンパクトなデジカメを持っていた。でかい一眼レフカメラを持って来られなかった身としては羨ましい限りだった。いつか買おう、そう心に決めた。

そうこうしているうちに修行僧が現れた。修行僧が持っている篭に次々と食糧が入れられていく。修行僧は何の有難みもなさそうに練り歩いて行った。自分も含め、観光客は面白がって食糧をぽんぽん入れ、写真を撮っている。一見すると修行とは程遠い、ラオスの観光業を支えるための一種のイベントのようだった。しかし、中には敬虔な仏教徒もおり、食糧を渡す側が有難そうにしている姿は印象的だった。

もはやイベント?早朝の托鉢の様子

その後、午前7時半から朝食と聞いていたので、時間きっかりにロビーへ。オーナー曰く「sister」「breakfast」「not yet」とのこと。つまりは「朝食を作る妹(or姉)がまだ来ていない」とのことだ。そんなバカな。本当に家族経営なのか。昨日の夜ドライヤーがなくても動じなかった私の心はすぐに動じた。結局その後すぐに妹(or姉)は到着。美味しい朝食をいただいた。

その後、部屋に戻ってツアーの準備。この日は日本語ツアーを予約していたのだ。ツアーは8時半からなのだが、8時にオーナーが部屋に来て、また聞き取りづらい英語で話している。「somebody」「booked」「tour」「came here」とのこと。この単語聞き取りゲームが楽しくなってきた。もう迎えが来たようだ。急いで準備をして出発した。ガイドは日本語が堪能なラオス人。車に乗り込み、合計9人で日本人ツアーが始まった。

流石は日本人に馴染みのないルアンパバーンとも言おうか、ガイド曰く、9人しかいないのに、本日は1年で一番ツアーの人数が多い日とのこと。そして、その面子もただの観光客というよりも、明らかに旅慣れしている人達のように思われた。国際協力関係の仕事をしている女性とその後輩、シンガポール勤務しているおば様たち、これまたシンガポール勤務している男性とその両親の3人組だ。海外で出会う日本人との話は面白い。そこがマイナーの国であればあるほど面白そうだ。ガイドの話はもっと面白い。その国の事についてより深く知ることができる。ずっと聞いていると眠くなるが。

まずは、メコン川クルーズからの『パクウー洞窟』見学だ。4,000体以上の仏像が収められているという、仏教の聖地的な存在となる洞窟だ。狭い洞窟に観光客がひしめいていた。日本人も何人か見かけた。階段を登って行くと2つ目の洞窟の入り口があり、5,000kipで懐中電灯を借りることができる。懐中電灯は持参していたが、リュックのスペース確保のために、借りた方が絶対に楽だと思った。

洞窟内は大小様々な仏像があり、その恰好(主に手の構え)によって意味がある。

  • 両手の手のひらを前に出している物は戦争反対。
  • その状態で片手だけ下げている物は不殺生。
  • 両手を胡坐の上に置いて揃えているものは瞑想。
  • 横になっている格好は死んだ仏陀。(らしい)

ラオスには本当に仏像が多かった。果たして私はこの旅でどれだけの仏像を見たのだろうか…。

もう見飽きました。仏像様

洞窟見学の後は酒作りの『サンハイ村』、織物作りの『サンコン村』を見学した。ガイドに作り方の説明をしてもらったが、片言の日本語が気になり、暑さも相まって全く頭に入らなかった。ただ、酒も織物も少人数で何か月もかけて作っているという話は印象的で、途方もない作業に思えた。

午後4時頃、涼しくなってきたところで、『クアンシーの滝』に行き、綺麗な滝の下にある冷たい川を泳いだ。川に入る瞬間は気合が必要だったが、入ってしまえばこっちのものだ。テンションは最大限にまで上がり、謎の奇声を発しながら泳いだ。滝は透明なのだが、川は水色に濁っていた。ガイド曰く、川底の石灰が濁らせているとのことだった。

なんだか突然テンションが上がったのです。

その後、ラオスで3番目の人口の少数民族『モン族』の村を見学。小さい子どもたちが集まってきて「ワンダラー」と悲しげに物を売りつけてくる様には心を痛めた。日本に戻ったら寄付しようと思った。(その場で買い物はしなかった。もっと寄って来るから。)彼女達は教育を受けられないのだろうか。女性ばかりだったが、男性は働きに出かけているのだろうか。もっと背景を知りたいと思った。

色々と考えさせられたモン族の村

この日は猛暑で長距離を移動したこともあり、午後9時就寝。たまにはこういう日も必要だろう。

5日目 帰国

朝はホテル近くのモーニングマーケットへ。ナイトマーケットよりは小規模だが、狭い路地にたくさんの食品が売っている。目当てはコウモリだ。前日にガイドに聞いたところ、モーニングマーケットに売っているかもしれないという情報を得ていたため、目を凝らして練り歩いていた。

一通り見て回り、もう駄目かと思ったその時、コウモリを発見!相手は英語が通じないが、身振り手振りでその場で焼いてもらうことに成功。5匹セットで50,000kip。1匹150円だ。内臓を取り除き、塩のような物を練り込み、カリッカリに焼き上げる。最初はグロテスクでとても食べられないと思ったが、焼きあがる頃にはそれなりに美味しそうに見えた。一口かじると、カリッという音と共に、バリバリと身が剥がれて行く。まるで手羽先のような食感だ。味も決して悪くはなかった。どこまで食べていいのかわからなかったため、頭と背骨だけ残して完食した。

後に丸焼きになる子

その後、一昨日入れなかった『ルアンパバーン国立博物館』を見学。王様の豪華絢爛な装飾品が数多く展示されていた。ラオスは元々3つの国に別れていて、当時のルアンパバーンは街ではなく国だったため、その当時の調度品が多かったように思われる。

昼にはビエンチャンへ戻るため、ホテルのオーナーに頼んで、ミニバンで空港まで送ってもらった。ビエンチャンのホテル同様、チェックアウト後の空港までの送迎は事前に予約しなくても対応してもらえるようだ。しかし、「ミニバン」という単語が聞き取れない事が驚きだった。東南アジアの発音は癖が強い…。

ルアンパバーン空港に着くと、偶然にも日本人を何人か見つけた。そのうちの1人は同年代くらいの男性で、いかにもバックパッカーな格好をしていた。空港内のカフェでMacBookを開いており、何やら写真を加工しているようだった。バックパックブロガーなのだろうか、旅を仕事にするというなんとも羨ましい職業だ。

その男性がなんと話しかけてきた。2,000kipが余ったからくれるとのこと。これからラオスを旅立ち、タイに行くため、kipは不要らしい。不要な小銭は同郷の友に渡す。粋なことを・・・。いつか真似したいと思った。円換算で35円分だったが。

再度ビエンチャンの先日泊まったカムピアンホテルに行き、少しの間だけ荷物を預かってもらえることになった。実は事前に頼んでいたのだが、違う人が対応したため、また一から説明をしなければならなかった。当然引き継ぎなどされていないのである。

帰国まで残された数時間はお土産探しをすることにした。歩きなれた道を地図を見ないで『タラート・サオ』(ショッピングセンター)まで行く。何日か同じ町にいると、こういうことができるようになる。自分の世界が広がった気がして嬉しい。

しかし、さすがは発展途上国。お土産になるものがない。正確には個人へ渡すお土産はあるのだが、職場などの複数人へ買っていくお土産がない。観光が主な収入源なのだからもっと用意しておいてほしいものである。ホテルのフロントで教えてもらったスーパーにも行ってみたが、特に目ぼしいものはなく、職場へお土産を買って行くことは諦めた。

その後、これまたフロントで教えてもらったナイトマーケットへ行き、これまた特に何を買うこともなく町を散策して終了。ホテルに頼んで帰りの空港までタクシーで送ってもらっていた。その道中、運転手が携帯をスピーカー状態にして私用の電話をしていた。当然運転手が何を話しているのかわからないのだが、その電話が終わる時に「愛してるよ。じゃあね。」と相手が言ったのだ。まさかと思い運転手に「奥さんですか」と聞くが、無視される。日本語がわからないのだ。「Is your wife Japanese?」と聞くと、「Yes」と答えた。なんとも珍しい出会い(?)だった。

タクシー降車時、(当初ホテルには60,000kipを要求されていたが、なぜか)50,000kipを支払い、空港に到着。ラオスに別れを告げ、来た時と同様、韓国で乗り継いで、日本に帰った。

日本到着時、約40℃の気温差に驚愕したのは言うまでもない。

あとがき

当初の目的としていた、1.一人旅の足掛かりとする。2.心身ともに丈夫になる。3.英語の実践をする。という目的は概ね果たせたと言える。次は一人旅を行こうと思えたし、暑さや多少の汚さにも慣れた。予想の斜め上を行く人々の行動にも耐性がつき、英語もその場の勢いで話すことができた。まだ足りないと思ったところは次の旅で成長すればいい。

この記事は、もともと旅行の記憶を留めておくため、箇条書きのメモ程度のものを書くつもりで書き始めていた。ところが、書きたいことはメモレベルでは終わらず、気づいたら紀行文になっていた。そして、それから数年後、本ブログを始めたため、いっそのこと記事にしよう!と思い、少し改良して、このように掲載させていただくことにした。

当時のあとがきに自分で読んでも良いことが書いてあるなと思ったので、最後に掲載します。

しかし、書けば書くほど、まだ見ぬ地を知る楽しさ、新たな人との出会い、知らない文化を知ること、早くまたそれらを経験したいという気持ちが膨らんできてしまった。そして、この気持ちが自然と消えてしまわないうちに、新たな旅への支度を始めたいと思った。さて、次はどこへ行こうか…。

おまけ:トゥクトゥクとは

トゥクトゥクとは、バイクに人が乗れるベンチ型の荷台を取り付けたものである。いわゆる馬車のバイクバージョンだ。三輪タクシーともいう。

トゥクトゥクの使い方

  1. 手を挙げてトゥクトゥクを止める。
  2. 行きたい所を言う。簡単な英語は通じる。
  3. 値段交渉(重要)
    ※運転手は観光客相手にかなり吹っかけてくる。何度も利用して修得した値下げ交渉術は次のとおり。

トゥクトゥクの値段交渉の仕方

大切なこととして、先に「ハウマッチ?」と金額を聞いてはいけない。そこからの値下げが大変になるからだ。

次の4ステップをマスターすれば、あなたも東南アジアマスターだ。

  1. 交渉前に現在地から目的地までの距離に応じて、妥当な金額(例:200円)を予想。妥当な金額はガイドブックに載っていることが多い。もしくは1、2回使うと経験で判断できる。
  2. こちらが予想する金額の半額(100円)を運転手に提案。(注意:こちらが2人以上の場合は先に「トータル」とはっきり言うこと。)
  3. 大体の運転手はニヤリと笑って「ノーノー(あり得ないよ)」と言い、その倍以上の金額(250円)を提示してくる。ここからが値下げ交渉の始まりだ。しかし、実はこの時点でもう勝負はついている。
  4. こちらは、少しずつ金額を上げ(じゃあ130円はどうだ?)、運転手は少しずつ下げる(いや、220円までしか負けられないな)。これを2、3回繰り返す。
    すると、ちょうど間あたり(180円)で交渉がまとまるので、自然と妥当な金額は達成できる。

※ ラオスの物価は安いです。値段交渉なんて不要と言う考え方もあります。それも、もちろん良いと思います。でも、値段交渉によって現地の人とコミュニケーションを取ることができて、尚且つ値段が少しでも安くなるなら、楽しいしお得だと思いませんか?相手も最初は吹っ掛けてくるので、無理な値段交渉さえしなければ、嫌な顔はされません。せっかくの機会を楽しみたいと私は思います^^

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この記事を書いた人

1987年出生|札幌出身|「英語を学ぶって楽しい!」を伝えるオンライン英会話講師|一人でも多くの英語初心者の方が中級者になってもらえるよう「英語マイスター」を運営|Twitterでは初心者の方がすぐに使える英語知識を毎日発信

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